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第7回東京シルク展シンポジウム(4)
司会
それではシンポジウムに移らせて頂きます。
座長の小此木代表 宜しくお願いします。
座長
それでは、先ず最初に八王子の養蚕農家の小谷田昌弘様に「蚕を飼う」というテーマのお話をして頂きます。その前に、小谷田様のプロフィールを簡単にご紹介させて頂きます。小谷田様は大正時代の初期から始めた養蚕農家で、その後、共同稚蚕飼育をも手がけた厳父のあとを受け継いで、現在は青熟交配種、これは蚕品趣の名前です。それから四川三眠交配種、小石丸など、飼育の難しいと言われる品種の飼育を、稚蚕飼育から全齢桑による養蚕を手がけて、毎年すぐれた繭を作出されておられます。この度は、稚蚕飼育、特殊品種の飼育の専門家として、そのご苦労と成果を、場合により、当研究会の養蚕グループの皆さんをアシスタントとして、さまぎまな角度からお話して頂きます。小谷田さん、よろしくお願い致します。(拍手)

◆養蚕農家 小谷田昌弘氏講演
只今ご紹介を頂きました八王子に住んでおります小谷田と申します。先生からご紹介がありましたが、私、特別に養蚕、いわゆる蚕の勉強をしたわけではありません。おやじがやっている背中を見て、それを自分のものにしたと言うだけのことなんですが、今のところ、先生方を中心に、いろいろ知識を頂きながら、ご紹介にございましたお話のように、特殊品種に力を入れてやっていると言うことで、養蚕家と言うよりは、養蚕をやっているというだけのことです。今日はこのような盛大な中で、初めての体験です。うまくお話が出来るかどうか、すでに上がって、心臓がぽこぽこしていますが、宜しくお願いしたいと思います。
(スライド)




これは大正の初期に建てた養蚕室です。すでに南側の風が強く当たる雨戸は、紙のようにぼろぼろになっておりまして、ついこの間18号台風の時もどうしようかと心配しながら、今のところ、何とかこれを使ってやっています。
ご案内のように、外側はぼろぼろになっております。子供たちから、これを何とかしなければしようがないだろうと言われているのですが、養蚕のために新築するとなると、大枚2000万円ぐらいはかかるという貝積もりを貰っています。しかし、今のところ、これを新しくするという気持ちはありません。この写真は、生まれて初めての蚕に、桑をやっているところです。
(スライド)



これは3齢時の写真です。3回目の脱皮のあとに、桑をやる場面です。ご覧のように、すぐ隣にマンションみたいなものが建っていますが、その片隅で桑を取っているところです。





これは壮蚕、いわゆる4齢期、4回目の脱皮が終わった頃の写真で、スーパー飼育台と言っている飼育台で、いわゆる条桑育と言いまして、条の桑、すなわち、枝のままの桑を与えますと、蚕がやって来るという状況を写した写真です。



奥の方に見える三人の方は、皆さん、町に住んでいる方で、応援に来て下さったので、その皆さんと一緒に撮って貰った写真です。
(スライド)


これは恐らく、お昼頃の給桑だと思います。桑を食べて、蚕がみんな桑の来るのを待っていると思われる写真です。
(スライド)



これが上簇(じょうぞく)の風景です。一部では既に繭が出来つつありますが、これは早口繭です。左側は熟蚕を拾って、まぶしの中に入れて、まぶしの一棟一棟、自分の好む部屋に入り終わったところで、まぶしを天井に吊した状況です。



これは繭をつくり終わって、いよいよ機械にかけて繭を集めようと言う作業の前段階で、肉眼で悪い繭を選び出し、除外している状況の写真です。



これは、いよいよ収繭が終わって、皆さん方で出荷しようという時の写真です。それぞれが満面の笑みを浮かべている姿が写っています。下の、竹で編んだかごは、俗に「えびら」と言っていますが、小さいうちは「えびら」に乗せて飼育しております。
[注]
ここまで、小谷田様のお話が進みましたところ、操作の手違いで、小谷田様宅の蚕室で飼育した特殊品種「四川三眠」生糸で制作された作品の写真(次ページ参照)が、大スクリーンに映し出され、座長が、写真の説明を始めてしまったために、小谷田様のお話が途中で終わってしまいました。



座長 小谷田さん、僭越ですが、作品については、私から説明させて頂きます。これは特殊品種「四川三眠交配種」の繭によってつくられた「しじら織り」の着物です。作者は多摩シルクライフ21研究会会員の石月まり子さんで、伝統工芸新作展で2年にわたって同じ種類の着物が東京都教育委員会賞を受賞しております。



これは同じく小谷田さんのところで飼育して下さった繭でつくられた特殊品種「青熟交配種」生糸でつくり上げた組み紐を使ってつくられた復元甲冑と、その原型(写真省略)の甲冑です。復元甲冑の作者は甲冑師の西岡文夫先生で、このうち組み紐部分を先生の妻であり、当研究会の会員である西岡千鶴さんが担当しております。原型甲冑は武田信玄が用いていたと言われる武田家に伝わる国宝の「小樫韋威鎧(こ ざくら かわおどしよろい)」で現在、山梨県塩山市の菅田(かんだ)天神社に納められています。復元甲冑が、西岡文夫先生の手によって、先般復元された「小櫻韋威鎧」で、現在、山梨県立博物館に展示されております。



甲府に行かれた時には、隣町、笛吹市御坂町の山梨県立博物館に出向かれ、どうぞご覧になって下さいませ。この他にも、小谷田さんの蚕室で飼育された特殊品種生糸でつくられたさまざまな作品があり、たとえば、古代裂とか、佐賀錦などにも織り上げられて、いろいろな作品として、つくられております。以上です。(拍手)

座長
それでは、次の講演に移らせて頂きます。
宮坂照彦様には「糸を繰る技」と言うテーマのお話をして頂きますが、その前にプロフィールを簡単にご紹介させて頂きます。宮坂様は岡谷市の株式会社宮坂製糸所の社長でいらっしゃいます。宮坂製糸所は創業昭和3年、歴史のある製糸所で、座繰繰糸など古い形の繰糸技術を現在も行っている、今ではわが国でも貴重な製糸工場であり、宮坂様はその技術にこだわりつつ、今なお技術の継承に力を注いでおられます。近年、絹製品の多様化が進み、求められる糸も種々多様ですが、宮坂様はさまざまな繰糸機を用いて多種類の糸づくりに挑戦し、需要者の希望に応えておられます。この度は、古来の有益な生産技術を持つ製糸工場の代表として、糸づくりの技を様々な角度からお話しして頂きます。よろしくお願いします。

◆株式会社宮坂製糸所杜長 宮坂照彦氏講演
只今、ご紹介頂きました宮坂です。どうぞよろしくお願いします。(拍手) 今日は長野県岡谷から参りました。岡谷と言いますと、かつては日本の製糸業の中心地として非常にに隆盛を極めたのですが、今はまったく様変わりしまして、製糸、糸づくりをしているのは私のところが細々とやっているだけになってしまいました。
 
 先ず最初にこういうことを申し上げ、誠に申しわけないのですが、先程、草野様から養蚕農家は時給700円だと言うお話がありました。製糸は700円とまで行きまぜんので、非常に困っております。なぜかというと、先に原価を申し上げることは失礼ですが、繭は先ほど1キロ2000円というお話が出ました。その1割を製糸が負担して、9割は補助金で賄われているということです。ところが製糸の200円は繭の購入費で、それにかかわる運賃、乾燥というものは入っていません。そういう諸掛かりを入れますと、大体、1キロ400円ぐらいになります。1キログラムの繭をつくるためには5キロの繭が要ります。そうしますと、1キロの糸をつくるのに原料代が2000円かかります。

それに対して、生糸の値段は、先程お話がありましたように、3000円〜4000円ですから、工賃が1000円か2000円ということになります。ところが、1000円、2000円ではとても生糸は出来ないわけで、4000円とか5000円かかるのが普通です。そうすると、製糸はどうしてやっているのか、という話になります。そこはいろいろな工夫をして、私どもはやっているということです。
 私のところは、只今、小此木先生からご紹介がありましたように、糸づくりの手法をいろいろ工夫しています。明治以来の伝続的な糸づくりをするとか、そういった工夫をしまして、何とかかろうじてやっているということです。
まず最初に、先程の草野様のお話と関連して、製糸の現状をお話し致しました。これは私のところだけではなくて、ほかの製糸工場もみんな同じような状況だと思っております。それから、先程、小谷田さんがお話しされましたが、小谷田さんのところの繭はほとんど私のところで糸にさせて頂いております。
立派な作品が先程映像に出て来ましたが、ああいう作品につくられているということを思いますと、利益は出ないのですが、この仕事に対しては非常に誇りを感じている次第です。それでは私のところの糸づくりを映像で5種類用意しましたので、それを見て頂きながら説明させて頂きます。



 これは伝統的な明治以来の繰糸方法で諏訪式繰糸、或いは座繰りとも申しますが、諏訪式という繰糸方法です。これはヨーロッパ方式でして、ご存じの富岡製糸場の手法にきわめて近い方法です。これを明治7、8年頃から岡谷で取り入れまして、改良というか、日本に合うように、安い費用で工場、施設をつくることが出来るような工夫をしました。しかも糸としては非常に優秀なものが出来るということで、この方法が全国に広がりまして、製糸産業が隆盛を極めたということです。
 
 今ご覧頂くような規模でやっているのですが、この糸を評価して下さる方も非常に多いですし、また、私どもと、岡谷市にある農業生物資源研究所との共同研究で、この糸の性質や、織物にしたときに、この糸がどのような特徴を持つかという研究も致しました。やはり自動繰糸の糸とは大分違っていて、織物が一旦はしわになっても、回復しやすいとか、或いはふっくらした感じの織物が出来るとか、そういう研究報告もありますので、今も続けております。



 これもやはり伝統的な手法で、上州式繰糸、或いは座繰りと申します。これは先程のヨーロッパ方式に対して、日本古来の方式を改良したものでして、ほぼ江戸末期までにこれの原型が出来ております。今ご覧頂いておりますのは、蒸気でお湯を沸かすとか、動力をモーターにするとかいう機能がありますので、江戸末期の作とは多少違いますが、原理的には同じです。主として玉繭を繰糸するように改良されたもので、私のところでは現在は玉糸をつくっております。なお、自動繰糸機は、日産(自動車)設計のもので、私のところでは、最近導入したばかりのものです。多品種、少量の糸づくりに向くように設計されたものです。大量生産型のものが以前はこの場所にあったのですが、それを撤去して、これに入れ替えて、多品種、いろいろな蚕品種に対応しようということです。





次に、大日本蚕糸会と共同で研究して、最近開発した繰糸機をご紹介します。この繰糸機は撹拌繰糸機と呼んでいますが、普通糸取りをする場合は、静かなお湯の中にある繭から糸口を出し、糸を巻き取って行くのですが、これは繭を撹拌しながら、糸取りをします。繭を撹拌すると、糸が絡み合いますので、普通の直線的な糸とはちょっと違った糸が出来ます。また、巻き取り速度を変えるとか、撹拌の仕方を変えますと、節が出来たり、玉のれんのような糸が出来たりもします。今までは、糸取りにコンピューターを使うことはありませんでした。多分、これが世界で初めてだと思いますが、コンピューターで制御しますと、指定した場所に節が出来たり、玉のれんのような塊が出来たりして、大変面白い繰糸機です。この撹昇繰糸機には、コンピューターソフトの問題とか、いろいろありまして、まだ本格的な稼働というわけには行きません。それと、この糸の構造がどういうふうな形をしているかという細かい研究もまだ出来ておりません。これからですが、一つこれを成長させて行きたいと思っております。



これは太繊度低張力糸を繰る繰糸機で、私のところでは、「銀河シルク」と呼んでいますが、普通の生糸はご承知のように、現在は10粒ぐらいの繭を1本の糸にして巻き取っています。しかし、この繰糸機では大体300粒とか400粒の繭を一度に巻き取り、ほぼ1000デニールぐらいの糸をつくります。この糸の使用方法は、帯、或いはニット製品に、現在、試験的に使っ
て頂いております。夏帯に非常にいいという評価も頂いております。普通、300粒とか400粒の繭を口出しして巻き取りますと、非常に大きな張力がかかるのですが、「銀河シルク」を繰るこの太繊度低張力糸繰糸機には糸の風合いを保つ工夫がほどこされていて、巻き取り張カが非常に小さく、低張力で巻き取っているために、風合いのある糸が出来ます。そんな工夫も致しまして、時給700円を維持するように頑張っておりますので、またひとつご声援をお願いしたいと思っております。以上です。(拍手)

座長
ありがとうごぎいました。
それでは、3番目の講師の染織家山口豊様に、「吊・両面錦を織る」というテーマで、お話をお願い致します。
その前に山口様のプロフィールを簡単にご紹介させて頂きます。山口様は撚糸・精練・製織・草木染、多分野にわたる絹業のコーディネーターとして、幅広く連携し、かかわり合って絹織物を製作しておられる京都西陣からおいで下さった方です。
能装束作者で有名な山口安次郎先生の装菓も、ほとんど山口豊様が組み立てて、織るまでにしておられるようです。
その厳父のもとで、特に唐織、両面錦、吊などの製織技術を学ばれ、西陣でも新蚕品種を用いての製品づくりなど、先進的な技で、多くの業績を残しておられます。近年は両面錦織などの製織にかかわり、昨年は、第62回伊勢神宮式年遷宮に当り、月讀宮御料「青瀕瀕綿御衣」(あおこうけちわたのみぞ)の「帛」の製織を、当研究会と合同で、特別品種「青熟交配種」を用いてかかわられており、日本の貴重な伝統織物の製織者のお一人です。この度は、帛と両面錦を中心に、それらの技法についてお話しして頂きます。よろしくお願い致しします。(拍手)

◆京都西陣染織家 山口豊氏講演
こんにちわ。京都から参りました山口です。
多摩シルクライフ21研究会のシンポジウムで、話をして貰いたいということで、今回、こういう場所で話をすることになりましたが、あまり、人前で話をする機会がないので、どういう具合になりますか。 先ず最初、「帛」の方からですが、前回、平成5年の伊勢神宮の式年遷宮のときは、私の父親が製織を担当致しました。埼玉県の方で、長年、私がかかわってきました「いろどり」という笹繭を使って、製織しました。
 
 今回は東京の八王子の「青熟」という品種を、先程からお話し頂いています小谷田さんとか、宮坂さんの手をわずらわせて、私の手もとに21中の生糸として届きました。これを平成17年度と18年度の2回、糸取りをして頂きました。1回目の17年度のときは、いろいろ準備工程の段階で失敗がありまして、納められるような製品にはなりませんでした。2回目のものでようやく5反、1反が鯨尺で約3丈の白生地を5反、去年の10月10日に多摩シルクライフ21研究会の皆様方と伊勢神宮の奉納に参加させて頂きました。
「帛」はどういうところが大変かと言いますと、織物としては、簡単に言えば、ただの平織ですが、前回の式年遷宮のときは、伊勢神宮から指図を頂きまして、サンプルが付いていたんです。サンプルの分解もせずに、指図書に書いてある通りに、父親に仕事をさせたわけですが、二度とかなわんというようなことを言っておりました。今回、私も製織にたずさわってみて、実際、それがよく分かりました。もう一つ、以前の伊勢神宮の式年遷宮のときの「帛」を、終わってからですが、分解してみたところ、撚糸がしてありました。織物を普段やっておられる方はご存じですが、原糸のままで織ることは先ずないと思います。

 何本かを、左とか右とか、撚りをかけて、或いは諸撚りと言いまして、左に撚ったものを2本ないし3本、4本と引きそろえて、今度は右側に撚って、縄目状態にして織るのが普通の織物ですが、「帛」は、引きそろえと言いまして、一切、撚りをかけない。そして、本数的には経糸に12本、緯糸は15本、引きそろえたもので、織って行くわけです。
練緯(ねりぬき)ですと、幅があまり要らないので楽なんですが、生絹(きぎぬ)の場合は、打ち込みがそのままですと、糸が反発して、打込みが出来ません。だから、必ず水に漬ける。それも前日とか、2、3日前から管に巻いて、夏の間は特にですが、冷蔵庫に入れて、糸に水がよく浸透するようにしてから製織にかかります。そして緯幅がすごく狭く、引っ張られて中に入って行くわけです。織り上がったものと、製品になった場合とでは、約4センチほど縮みます。この辺りが「帛」の一番難しいところです。

 それから経糸は、製糸から上がったままの状態で使いますので、玉が出来たり、裂けがありまして、なかなか思うように前に進みません。こういうのが「帛」の難しいところです。織り段は、緯糸を濡らして織りますので、私なりには案外難しくないんですが、幅を取るのと、糸の扱いが非常に大変です。特に糸が細いですから、表面積がとても大きくなります。西陣辺りで使っている「四つ枠」という糸を取る枠がありますが、これが少し取ったところで、みんな割れてしまいます。繭から糸繰りする場合は、大きい枠ですから、つぶれることはありませんが、われわれ西陣で使っている棒は、案外ひ弱な感じで、特にプラスチックの枠でも、糸繰りをしている間にバリッと割れてしまうということを経験しました。「帛」は、糸自体が原糸のままでやるという織物の難しさを、今回しみじみと分かりました。

 口でどうのこうの、というのはなかなか難しいんですが、前々回の場合は、普通、西陣で使っている撚りのかかった糸を2本なり、3本という盛じで、引きそろえて仕事がしてあります。そうすると、精錬したときに、生地の硬さがまったく違います。硬くて、最初に見たときはいい感じなんですが、これを染色しますと、染料の浸透性がまったく変わって来ます。染色の方は、「帛」の場合は正倉院におられる吉松先生が朴(ほう)の木の版木を彫りまして、そういう版木を使って、4色ほどの染料を使って、染色をするわけです。前回のときに吉松先生がおっしゃっていたんですが、「すごく浸透性がいい。これはどういうことですか」、最初に言われたときは分からなかったんですが、結局、撚りをかけた織物と、まったくかけない織物、織るのにも、撚りをかけた場合ですと、普通の素人さんでも簡単に織れると思いますが、その辺が違いではないかと思います。 「帛」は、技術的に言うと、今、言って来たようなことを、一番ポイントに置いてやらなければいけない織物のように思います。

それからもう一つの両面錦は、6年程前に、天皇陛下の旗をやって貰えないかということで、1年程、試行錯誤しまして、平成17年から3年程、やらせて頂きました。今日はサンプルを持ってきております。皆さんは、めったにお目にかかれないし、手に取って見ることはないと思いますので、会場に回しますので、一度見て行って下さい。これは、天皇が海外に行かれるときも、必ず、前もって、大使館に送られるということを聞いております。手に取って見て頂くと、分かると思いますが、幅が20センチ、その中に、21中の2本諸と言う糸が、耳の本数も入れて、7300本あります。こういう織物は、普通、西陣ではやっているところはありません。もともとは住江織物さんがやっておりました。それが龍村さんに渡って、私のところに来ました。今、現在は、また住江さんに戻しました。住江さんの方で、今はやっておられます。これの特徴はどういうことかと言いますと、機存え(はたごしらえ)紋織物なんですが、普通、帯などですと、錦とか、繻子、緞子、繻子織りとか、兼用で機も出来るんですが、これはこれだけ、専用の機をつくらないと出来ません。それと知っている方もおられると思いますが、ジャカードという紋織機は900口、図面に書くとすれば、900の升目が出来る方眼紙に、こういうふうに書くわけですが(山口さんは方眼紙を差し上げて皆きんにお見せになる)、これを900の紋ロを使って、「屏風刺し」という特殊な綜絖(そうこう)をつくります。屏風刺しというのは、紋口は半分の図面でいいわけです。綜絖が左右対称になる。二つになっています。だから右と左が、ここで左右対称になるように織るわけです。
900の紋口ということは、紋ロで言えば、倍の1800の緻密さになって来ます。両面錦は、そういう特殊な織物でして、足でジャカードの開口をするわけです。片方は軽いんですが、片方は倍以上の糸を持ち上げますので、膝に相当負担がかかります。私もそれで膝を痛めました。そういう織物です。ほかには、緯糸の打ち込みが微妙に難しいわけです。真ん丸に織りますと、織り上がってから少し縮みますので、菊の御紋がへたって見えます。幅は決まっていますのでいいんですが、織ってて行くと、緯糸を入れて行く打ち込みの感覚が非常に微妙です。
真ん中の菊芯から半分を織って行きますと、これが2ミリ伸び縮みがありますと、普通、遠くから貝ていると分からないんですが、我々が見ると、不良品という感じで、「帛」も大変ですが、こちらの方がもっと大変ではないかと思います。普段は、我々は帯とか能の衣裳を主にやっておりますので、こういう織物はめったにやることはないと思います。こういう特殊なもの、「羅」もそうですが、神経を極度に集中しないとやって行けない織物です。技術的にどうのこうの言われると、口ではなかなか難しいんです。やっている人は分かるんですが、技術は体で覚えて行かないと駄目ではないかと思います。こういう特殊な仕事が出来たことは、大変、光栄に思っておりますが、こういうものをやって呉れる人が続いて出て呉れるか、これは大変だと思います。特に、伊勢神宮の20年に一度のご奉仕を私はさせて頂いていますので、そういうことが次回もやって行けるのか、それと原材料の確保、技術者の確保、いろいろな面でこれからは益々難しくなって来ると思います。
業界で、最近はNPO法人というかたちで、いろいろ技術者が集まって、やりかけたりもしていますが、どこまでそういうものにかかわって行けるか、先程の養蚕もそうですが、我々も年齢的に若い人が育たない産業ですので、憂慮しております。
こんなところで、あまりお役に立たないかも知れませんが、旗は会場をゆっくり一巡して頂いたら結構かと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)

座長ありがとうございました。
それでは、次に志村明様をご紹介させて頂きます。
志村様は、長野県飯島町勝山織物株式会社絹織製作所研究所にお勤めでいらっしゃいます。よろしくお願いします。志村様は沖縄県石垣島の亜熱帯養蚕施設で長きにわたり、多種多様の桑品種、蚕品種を用いた絹製品開発に力を注ぎ、前任の愛媛県野村町のシルク博物館では、製糸、製織分野の講師を務めるかたわら、石垣島で培って来た素材づくり、染織過程をはじめとする絹の生産システムの研究開発に取り組み、現在は、在来新種の桑を増殖することから研究を始め「養蚕を基本とする絹の生産システムづくり」にたゆまぬ努力をなさっておられます。この度は、「養蚕を基本とする絹の生産システム」と、その長年の成果についてお話をして頂きます。

◆勝山織物株式会社絹織製作所研究所 志村明氏講演
こんにちは、志村と申します。これから「養蚕を基本とする絹の生産システム」と題したお話を致します。時間が短いので、先に内容を要約しますと、自ら蚕を飼うと言うことをいかに必然化して、継続可能な状況を作り出すかということについて述べさせて頂きたいと考えております。
先ずご紹介したいのは、中国南宋時代1200年代に制作された「蚕織図」(絵巻物)です。この絵巻物の寸法は、長さ516cm、幅27.5cmで、絹地に描かれた現存最古の絵画資料です。現在、黒竜江省博物館に所蔵されております。歴史的な技術を検討する時、また絹の全工程を把握する時の大変良い手本としております。全4場面で構成されており、その内の15場面には、蚕を飼い、繭を作る工程を詳しく描いております。ここでは、桑の摘み取りから、稚蚕飼育、壮蚕飼育、繭の塩蔵、繰糸、製織など、主な工程をご紹介しています。
次に、ご紹介しますのは、織り上げた布を、最後に検査している場面で、当時の帛の規格資料によりますと、長さ42尺、幅2尺5分、重さ12両とありますが、宋代に基準尺と言うのがあり、1尺31.85cm、一両が37.301gです。メートル法に換算致しますと、長さ約13.4m、幅64cm、重さ448gとなります。この基準に、かなり軽い絹布を制作されていたであろうと思われます。



 私の絹の生産拠点は長野県飯島町ですが、その全景をご紹介します。正面に中央アルプスがそびえ、天竜川が流れていて、その天竜川に向かって真ん中、天竜川に流れ込む2本の支流が合流するあたりが飯島町です。さて、絹づくりの全工程を、同一地域で行う場合、先ず、自然条件が大切であると考えます。長野県全体がそうですが、私が生産拠点としている飯島も、一年を通じて、乾燥傾向にあります。しかし、水が豊富で、農業用水が網の目のように流れ、その川筋に沿って風がよく通ります。この自然環境の中で、稲作が盛んですが、絹織物づくりに適した環境の中で、私は桑畑作業に始まり、養蚕、製糸、織物づくりに励んでいます。

次に、絹布製作についてですが、ここでは桑苗生産と蚕種製造にっいて触れてみます。絹づくりの工程は、大変長く、複雑であることは、皆様よくご存じの通りですが、私が最終的な目標としている点は、着姿の美しさを実現させることで、そこにポイントを置いています。絹づくりの全工程のとらえ方、表現の仕方には、いろいろあると思いますが、私は、繭から糸を繰
り取る工程を、全工程の中心に位置付けています。
要は、絹製品の「質感」をいかに目的とするものに近づけるかです。また、目的とする絹製品をつくるのに適っているのか否かを判断する観点からも、撤密な検討を事前にすることが大切です。たとえば、生糸を繰る段階においても、繰糸方法ばかりにとらわれず、蚕を自らが飼うことから始めなければなりません。そういうことが、ポイントになると考えております。

 次に、先の絹製品づくりの複雑な全工程を単純化して、ポイントだけを表してみますと、絹づくりの工程は、大方の皆さんがご存じのように、絹素材・染色技術・製織技術の三工程に分類されます。更に、この各工程は、手作業により在来技術と、機械装置を中心に使う現代技術に分けることが出来ますが、それだけではなく、たとえば、織り上げた絹布を仕上げたり、着用後の経時変化を調査して行くのもポイントになります。

次に、絹繊維の「質感」の問題ですが、絹製品はご存じのように経時変化します。何が経時変化の要因であるかは、既に様々な角度から研究が進み、私もその研究結果に注目して作業していますが、これは避けては通れない大きな閥題ですので、私の口からお話することは致しません。只、絹の場合は、蚕品種も、繭の保存法も、繰糸の方法もすべてが複合的に「質感」を左右していると思っているのです。

次に、糸繰りの在来技術と現代の技術の違いです。糸繰り技術には、それぞれ歴史があります。従って、たとえば、手作業を中心とした在来技術にはじめて挑戦し、絹繊維製品をつくろうとする場合には、その在来技術が歴史的にどういう位置付けがされているかを、私は事前に詳しく調べ、私なりに検討を加え、少なくとも、歴史的根拠などを、或る程度は認識した上で、作業に取りかかります。歴史的技術を解明しようとする場合でも、文字で克明にしるされた資料がすべてあるとは限りません。私が調べた範囲でも、製糸関係の資料は、江戸時代後期のものしかないありません。歴史的な背景をすべて遡ることは困難でした。しかし、絹染織品の多くが、各地にある博物館や美術館に多く収蔵されています。博物館や美術館は、長い歴史的資料を蓄積した経験と理論の宝庫なのです。これらを綿密に調査、観察し、明らかになった情報を文字に表わすことで、当たり前のことかも知れませんが、技術の歴史を遡ることが出来るわけです。ここで、私が行なった絹染織品の調査、観察について、少し触れて置きたいと思います。

以前から、さまぎまな角度から、私は調査しているのですが、かっては、画像を記録処理出来できなかったのです。持ち運び出来る軽量な機材がなく、双眼の実体顕微鏡にしても、カメラをいちいち取り付けて写真を撮ったりしました。また、低倍率のものしか得られませんでした。
そこで私は、数年前から、高倍率の画像記録処理が割と簡単に出来る双眼の実体顕微鏡を独自に開発して、それ以降、この方法を用いて成果を上げて来ました。そこで、私が3年前に行った京都国立博物館所蔵の資料をご紹介しますと、実は、この調査を実施するに当たって、大日本蚕糸会の蚕糸絹文化活性化推進事業の助成を受けたから出来たのです。デジタルカメラを用いて記録しました。

この全体の写真をマイクロスコープを用いて、倍率を変えたりしてみますと、さまざまなことが明らかになるのです。低倍率の写真は、織り組織や、色の構成を観察するのに適しています。図録や報告書の拡大画像も、ほとんどこの低倍率です。私は、自分で絹糸を繰り取ることを目的として、あらゆる角度から技術解明をしたいと考えていますので、経・緯糸の構造などがどうなっているのかも高倍率画像でみていますが、高倍率画像ですと、糸の形状から繰糸方法まで、さまぎまな角度で、検討出来るのではないかと考えています。

次に、「熨斗目」と呼ばれる織物の経糸の並び方を観察してみました。「熨斗目」は、精練した糸を用いていますが、経緯糸とも無撚りの糸使いで構成されています。1000点程の資料を画像記録したのですが、いろいろな組み合わせパターンがあることが分かりました。経糸の並び方を中心に分類しただけでも、3パターンあることが分かりました。これらの画像から、繰糸法に関する情報を読み取ってみると、糸の形状が「平味」であるということが分かります。引き揃えられているものもありますが、1本に見えるので、糸形状は平味であると私は考えております。

「黄八丈」と呼ばれる織物についてまとめた「縞本永観帳」のことをお話しますと、この「縞本永観帳」は東京駒場にある民芸館に収蔵されています。それによると、経・緯糸ともに、甘撚りの精練された糸で構成されていることが分かります。先程の生経糸の形状とは異なることも分かりました。糸の使い方を大きく変えて、絹織物の質感に変化を与えています。
私の今やっているこの調査で、実験的に復元するという意味合いで実施したのが、同一蚕品種、繭保存法は塩漬け、生糸繊度は27dで、手回し座繰り器を用いて平味の形状をつくった糸と、自動繰糸機でつくった糸です。

これも異なって見え、在来技術でつくった糸と現在の技術でつくった糸は違ってみえます。奈良県にある財団法人元興寺文化財研究所で作成された断面写真をみますと、この糸を用いて、経糸1本、緯糸2本の引き揃えとし、撚糸、精練をせず、同一密度で製織した後、仕上げの砧打ちを行なったもの、繰糸方法だけを変えて、他は同一条件でつくり上げたものも、意外に、異なったものに仕上がっていることが分かります。

ここで考えなければならないことは、どちらが正しいか、という判断をするのではなく、それぞれの性質を知り、目的とする絹布にあった組み合わせをするための研究資料にすることです。そして、どのような方法を用いて、経験を深めれば、技術の歴史的由来を知ることが出来るようになるかも知るべきだと思います。この辺りを十分に検討しておかないと、自ら桑を植え、蚕を飼い、糸をつくる必要性が見えて来ないと思うのです。
蚕の飼育方法の決定は、糸や織物の目的に適合した方法を的確に探し出し、その点を十分に把握した上でしなければならず、それが、現在、最も必要なことであると思います。機械繰糸するのか、手回し座繰り器を用いて糸を繰るのか、或いは機械繰糸糸と座繰り繰糸糸の両方を組み合わせて、絹製品をつくるのか、さまざまな組み合わせ法を念頭に置いて、繭をつくり、そして、繭から糸を繰り取ることなどすれば、絹づくりをすべてシステム化出来ると思います。
中途半端になりましたが、絡わります。ありがとうございました。(狛手)
座長 ありがとうございました。
司会
ありがとうございました。只今から10分間、休憩させて頂きます。
2時45分から後半の講演を始めます。
(休 憩)


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