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原点に立った夢のある店(平成10年染織α掲載)
昨年の蚕飼育の時に、「以前『染織α』の記事を読んで一度来たいと思っていたのよ。」と遠くからおいでいただいた方から、あの染織関係者のバイブル的存在の「染織α」が2007年に休刊したと伺い、改めて自戒を込めてあのときのレポートを掲載しておきたいと思います。

このレポートは、当初きもの雑誌(確か「美しいきもの」だったと思います)に染織関係者を対象にした懸賞論文「織成賞」(財団法人・手織技術振興財団)を募集していたものに、たまたま蚕飼育展をしたばかりで、何かにまとめておきたいと考え、そのときの資料や写真を送って応募したのがきっかけでした。文章を書くのが昔から苦手なのですが、このときばかりは自分が全て考え、行動したことを書きましたので、意外と苦労しないで書けたのを今でも記憶しています。

幸いにも、栄誉ある織成賞と、しかも副賞に10万円というお金も頂きました。その後そのお金で練馬のおじいさんから機を譲ってもらい、今でも店内で機織体験をしてもらっています。
そのあと、「染織α」という雑誌に掲載するので原稿用紙10枚位にまとめて出してくださいとその頃の編集長の富田?さんから電話があり、このようなレポートが出来上がったのです。

今でも思い出すたび、読み返し、胸が熱くなってきます。これからもこの心忘れずに、この商売が続けられたら幸せですね。お読みいただいてご感想・ご意見などお寄せいただければ、幸甚に存じあげます。

第六回織成賞レポート
呉服屋は地域の「和文化」の発信基地

原点に立った夢のある店

呉服屋で開いた「蚕飼育展」

お祖父さんと孫の雄一君が蚕の幼虫を前にして話をしています。
祖父「ほらよく見てごらん。お蚕さんは縦に葉っばを食べているだろう。」
雄一「おじいちゃん!カイコさん、緑のウンチしているよ!」
祖父「こっちでは口から糸を吐いているぞ。頭を8の字に回しながら繭を作るんだ。糸を吐いている間は桑の葉も食べないし、眠らないしオシッコもしないんだよ。」
雄一「へえー。ほんとオ。でもおじいちゃんカイコさんの事よく知ってるね。」
祖父「おじいちゃんがお前達の頃に大きな戦争があってな。子供達だけで田舎に疎開していたんだ。その時おじいちゃんも毎日お蚕さんの世話をしていたんだよ。」
雄一「ソカイってなあに?」…延々と話は続きとうとう戦争の話にまで発展してしまいました。
昨年の七月、私共の店舖(きもの千歳屋)の一角で催しました「蚕飼育展」で実際にあった一コマです。私共の店は東京世田谷のはずれ、祖師谷という比較的緑の多い地域にあります。戦前までは田畑が広がり養蚕も行われていたようですが、戦後急速に開発され武蔵野の面影はずいぶん少なくなってしまいました。

私はそんなマチの呉服屋の息子に生まれ、いつか機会があったならキモノを一番最初から作ってみたいと考えていました。それは呉服に携わる人間だったら一度は頭に浮かぶ事でしょうが、必ずブレーキが掛かります。日頃きれいにきものや帯が飾ってある場所に突然何千頭(蚕は頭(とう)で数える)もの蚕の幼虫が蠢(うごめ)いている様は想像してもあまり心地のいいものではないでしょうし、特に女性客の多い呉服屋の事、そんな事をすれば商売に差し支えると誰でも考えると思います。悩みましたがどうしても蚕は外せない。それは日本女性が憧れるきものの原点「絹」だからどうしてもやりたかったのです。

昔の女性は日本中どこでも蚕を育て、その土地に白生する草木で糸を染め、機を織ってきものを作っていました。特に絹の着物は貴重品でしたから、古くなってボロボロになっても縫い合わせて大切に使いました。母の手と豊かな自然のおかげで作られたきものは母から子、子から孫へ伝えられて大事にされました。モノには心が宿っているからと大切に扱われた時代でした。
現代はモノが溢れ、なんでも使い捨ての世の中。きものも生ゴミと一緒に捨てられています。核家族化が進み家族のコミュニケーションが取れなくなった今の状態だと、親からきものをもらっても活かし方が分かりませんし、生活の中にきものと接する機会がほとんどないため、ただのお荷物になっています。

戦前までは絹は日本の重要な輸出品であり、世界一の技術を持ち世界中から研究者が留学していました。皮肉な事に近年は指導した外国の安い繭に押されて、国内の養蚕農家は激減し、それに従事しているのが七十代以上の方ばかりですから、おそらく後十年位で蚕は日本でほとんど見られなくなるそうです。それならばぜひ本物の蚕を目の前で見てもらおう。それを通じて命の尊さ、モノを大切にする心を少しでも感じてもらおう。決して呉服屋としておかしな事をするのでも、商売にマイナスになることでもなく、呉服屋でなければ絶対できない事だと、やるのは今しかないと確信するようになりました。

消費者と共に"モノを創る"喜び

といってもあるのは勢いだけで、蚕や絹についてほとんど知らず、とにかく色々な人に聞いて回りました。すると「あの人が昔お蚕さまやってたから聞いてごらん。」と別の人を紹介してくれる。そうやって新しい人に会う度に、不思議な事にどんどん実現の方向に進んでいくのです。壁にぶつかると必ず誰かがアドバイスしてくれたり、乗り越えられる所が見つかったり。

その都度、内容が充実し、やる事が増えて行きました。それに伴って新聞やテレビなどの取材もあり、会期中延べ二五〇〇人もの来場となりました。約半数は小学校までの子供達で、遠くから電車を乗り継ぎ一時間半も掛けて来られた人もありました。呉服屋では滅多に見掛けない男性の姿も目立ちました。顔は知っているけれど今まで話した事の無い人ともずいぶん伸良くなりました。

蚕の幼虫は前橋市の群馬県蚕業試験場の特別な取り計らいにより、色々なパネルや標本と共に提供していただき、また世田谷区のほうからは明治の頃に実際に使われていた養蚕関係の資料や道具類をお借り致しました。
ところが飼育する蚕の数が三千頭と多かったため、肝心の桑の葉が近所で十分に手に入らず、妻の遠縁を訪ねて神奈川県の相模川付近まで往復四時間かけて取りにいく事になりました。毎朝糞の掃除、給桑(桑を与える)、小一時間はかかります。試験場のご好意でふ化の時期をずらしていただいたので、一度に一齢から五齢までの幼虫と繭を作っている蚕をお見せする事ができました。こういう事は滅多に無い事だそうです。

ともかく費用がないので最小限の経費でできる限りの事をしようと、専ら定休日を利用して出掛けました。家族連れでもよく出掛けました。妻もよく付き合ってくれましたが、半ば呆れていたようです。会期が近くなると告知用のポスターを作って近隣の小学校・児童館など子供達の目に触れそうな所へ持参し、来場を呼び掛けました。協力してもらった方にあまりに来場者が少ないとみっともないと思ったのが本心かも知れません。

七月十八日から二十九日まで十一日間店内で飼育し約二千頭が繭を作り、秋までにその糸を活用して丹後で長襦袢地に織ってもらいました。
世田谷でできた絹糸を使って「世田谷の四季」と名付けたこの襦袢はとても人気で、出来上がってくる頃には既に予約で完売していました。

秋には世田谷区から特別にお借りした明治時代の古い機を使い、一般の希望者に機織りをしてもらいました。こちらも好評で募集九人のところ、新聞に掲載された事もあり三〇人以上の応募があり急遽人数を増やしました。古い機なので大変だったと思いますが、皆さん頑張って織っていました。ところが趣味で機織りをやりたい人がいる一方で、日本中の産地で何十年もやってきたベテランが職を失っているのです。

純粋に心のシルクロードを歩みたい

高額な上に着る機会が少ない等の理由できもの離れが叫ばれて二十余年、今日まで多くの呉服屋は売上げの減少を、さらなる高額商品の販売と様々な販売の手法(かなり悪質なモノもある)でカバーしてきました。販売ばかりに気を取られ商品や作り手の勉強もせず、問屋に言われるまま、卸値にそのまま利益を載せて販売してしまう。品の善し悪しを質では無く価格によって判断する販売員が増える事になる。良識ある問屋や呉服屋ならまだましな方で、そうでないと十万円の商品が百万円で展示会場に並ぶなんて事が起こる。着物の価格が分からないのは消費者だけでなく、業界の人間にも沢山いるのです。

さらに売上げが下がるとお客に対しては無理な重ね売り・押し売りをするため、代金の回収が遅くなり、利益を確保するため、在庫や金利の負担を軽くするための値引きや恒常的な委託取引、支払いの遅延を川上に向かって要求していく。呉服屋から問屋。問屋からメーカー。そして職人。このような状況から、最も守らなければならない伝統的な技術を持った者がどんどん消えていく。
加えて海外でのきもの制作・仕立て加工や、コンピュータを使ってきものを「印刷」するハイテク生産等が大手の呉服屋を始めとして導入されている。その結果、養蚕農家同様、仕立て業者も白生地や染加工メーカーも次々に淘汰されていく。やがてきものの事がわからない入間が"きものの形をした衣服"を売る店を「呉服屋」と呼ぶようになるのだろうか。呉服業界の内部告発みたいだけれど、自戒も込めてこういう事を業界全体で許してきた結果が、きものの価値や品質への不信感となり、益々きもの離れに拍車を掛けているのは事実だろう。

今回のイベントを終えて最も強く感じたのは「子供の心でモノを見る」事の大切さです。純粋さ。感動する心。素直さ。大きな夢。創造力。思いやり。全て大人が失いかけているものだけど昔はみんな持っていたもの。「もっともっとシンプルに生きれば、もっともっと素敵な毎日が送れるよ。」と、私は蚕と子供達に教えられました。

これからの呉服屋は地域の「和の文化」の受発信の基地(昔の囲炉裏(いろり)のような役割)となりましょう。「和の文化」とは前述したような「母の手のぬくもりの感じられるモノやコト」だと考えています。子供に理解できるよう、時には外国人にも分かるようにわかりやすく、しかも体験的に伝える和文化の提案です。具体的には店内にミニギャラリーのようなスペースを設け、地域の趣味の会やモノ作りをする人の発表の場として、また参加者には体験の場として積極的に解放するとか。少しずつ「和の文化」に関心のある人が集まりネットワークができれば、そこから地域の新たな発想が生まれる。また「和の文化」のなかでの「きもの」の在り方もはっきりしてくると思う。

今の呉服業界にきものを楽しんでいる人、きものが好きで好きで仕方がない人が何人いるだろうか。業界の枠など何ごとにも捕らわれず、「きものが好きできものに夢を持っている仲間」と共にこの心のシルクロードをこれからも旅してみたいと思っている。
                (きもの千歳屋/うつみ・やすはる)
| きもの情報 | 17:59 | comments(3) | trackbacks(0) |
コメント
毎回楽しくブログ拝見していますが、
今日のブログを読んで 
千歳やさんのお客さん?でよかったと感動しています。
いろんな人を誘ってお蚕さんに会いに
行きたいと思います。
今年は いつ頃 お蚕さんの赤ちゃんに
会えるのかしら?
楽しみにしています。 

| ルンルン | 2009/02/03 6:28 PM |
さっそくのコメントありがとうございます。またいつもご覧頂いているとは、誠にありがとうございます。このような更新状況でお恥ずかしい限りですが、今年は心機一転「情報発信」に力を入れて行きたいと考えています。

口ばかりでなく、行動にならねば皆様に、自分に嘘をつくことになります。出来る限りのことをなるたけ早く実現していきたいと願っています。ぜひこんな情報がほしいとか、こういうことをやってくれとかご要望をお寄せ下さい。
| 店主敬白 | 2009/02/03 9:49 PM |
着物とかよくわかんないし
蚕見る勇気ないけど
面白く読めました

真面目に考えたり動いたりしてるひとがいるんだ
尊敬っす
| ケロッス | 2011/07/12 10:41 AM |
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